ネット、あるいは実名からの逃避

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こんばんは。今日は寒かったですね。今日は、「ネットでの『発信』は、はたして自由なのか」ということを考えてみます。短いですけどね。

1)ぼくが指摘するまでもなく、インターネットの普及で、個人が情報を発信することははるかに容易になった。

2)しかし、その「個人」とは、本当に「個人」、例えて言えば「顔が見える個人」なのだろうか。

3)それはもちろん、実名で発信されていたとしても、「顔(=パーソナリティ)」までわかっている人ということとは限らない。

4)これだけ多くの「情報発信者」がいれば、実名だろうが匿名だろうが、その人の「顔」までが見えることの方がまれであろう。

5)それは「顔」が見える相手に、「私」が情報の発信元であることが知られるのが気恥ずかしいとか、ぼくのように実名を公開すると誹謗中傷する輩が追い回してくるというような理由があるからかもしれない。

6)しかし、ぼくは実名で情報が発信できるようになった方がよいと思っている。

7)犯罪はネットでなくても匿名で行われるので、ここでは触れない。

8)問題としたいのは、ヘイトスピーチのように、悪意のある発言(当人たちは「悪意」があるとは思ってないだろうが)が、匿名性に隠れて行われるということであろう。

9)そういう人たちは、実名であればヘイトスピーチのようなことはしないだろう。

10)もちろん、ネットでの発言を、実名のみに限るような規制は好ましくはない。

11)ただぼくは、「その書き込み、実名でできますか?」と問うてみたいことに出くわすことが、しばしばあるということを申し上げたいのだ。

12)発言の自由とは、発言内容への責任と一体なのではないか。

13)同時に、発言の内容によって、発言者の人格までもが攻撃されるようであってはならない。

14)要するに、「匿名性」に隠れてでないと「自由」な発言ができないのであれば、それは「自由な発言」なのかということである。

15)強引にまとめてしまったが、「発言」「自由」「実名」等について考えてみた。これからも、折に触れて考えてみたいと思っている。

 

まつき

 

 

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